reportage
月刊雑誌『水平』創刊号―大正11年7月13日発行―より
※漢字・かなの多くを現代のものに変換しています水平社は愈々大会準備に忙殺されて来た。大阪には約十萬の宣伝ビラを配布し奈良、和歌山、広島、兵庫、三重、滋賀、大分、福岡、岡山、長野、静岡、東京、埼玉、島根等へと各萬余の趣旨、宣伝、大会の通知を発送した。三月二日の早暁より京都付近一帯を二台の自動車をもって宣伝隊を組織して巡回した。各部落の青年男女は狂喜して迎え非常なる成功裡に引き上げた。明けくれば三月三日、記憶すべき三月三日である。
我々三百萬の呪われの人々が今や自らの運命の上にたちあがって『人間の自由』を叫ぶ時が来た。我々に対する、下らない因習的階級制を今なお保守せんとする社会生活の改革を促進する為に、自主自発の集団運動を起こす可く、此大会を青年の手によって開かれたるは我々民族の歴史以来の稀有事である。春光に輝く岡崎公園内公会堂のまえには墨痕鮮やかに『三百萬人の絶対解放、特殊部落民の大同団結、全国水平社創立大会、午後一時より。』と大書され、幔幕は四方に張られ『解放、団結、自由』等の旗は千年来の残虐の血に染められてひるがえる午前中すでに千有余の参加者があり、開会を促す拍手は会堂に強く響く、開会の刻迫るとともに各地方の参加団体一時に殺到し来たり、無慮三千人を容るに足る公会堂も満場立錐の余地なきに到り、愈々午後一時、茲に会堂も揺動く拍手喝采と共に大会の幕は切って落とされた。
先ず南氏、開会の辞に代えて民族の歴史を説き断々固たる決意を述べ、希望を漲らせて降壇、衆議一決によって座長席につき、坂本氏は昨年よりの粒々辛苦の経験を報告して感謝の拍手によってこたえられ、櫻田氏綱領を朗読
怒濤のごとき歓声、急霰の如き拍手は暫し止まなかった。次いで駒井氏、宣言を朗読すべくその雄偉なる体躯を壇上に運ぶ。
全国に散在する特殊部落民よ団結せよ。
長い間虐められて来た兄弟よ、
過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた我等の為の運動が、何等の有難い効果を齎さなかった事実は、夫等のすべてが我々によって又他の人々に依って毎に人間を冒涜されていた罰であったのだ。そして、これ等の人間を労るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想えば、此際我等の中より人間を尊敬する事によって自らを解放せんとする者の集団運動を起こせるは寧ろ必然である。
兄弟よ
我々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享けて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
我々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。
我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先を辱め人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を労る事が何であるかをよく知っている吾々は、心から人世の熱と光を願求礼賛するものである。
水平社は、かくして生まれた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。
大正十一年三月三日 全国水平社
駒井氏の一句は一句より強く一語は一語より感激し来たり、三千の会集皆な声をのみ面を伏せ歔欹の声四方に起こる、氏は読了ってなお降壇を忘れ、沈痛の気、堂に満ち、悲壮の感、人に迫る、やがて天地も振動せんばかりの大拍手と歓呼となった。次いで米田氏は凜々たる声を以て決議文を朗読
右決議す
大正十一年三月三日 全国水平社創立大会
満場総立って起立可決、拍手喝采満堂を圧した。泉野氏は各地よりの祝詞、祝電、激励文を読み上げてこれまた喝采で応酬された。創立大会はここに円満なる終了を告げ全国より会集した三千有余の人々は再び三度エタ万歳、水平社万歳を高唱した。
創立大会終わると同時に各地代表者演説の演説に移る。
等交々起って壇上に熱弁を揮った。一千年来の鬱憤は何ものをも焼かんとする業火の如く舌端に迸り、辛辣骨を刺す聴衆の警句と相和して慥かに擯斥者の心臓を寒からしめた。
中にも三重代表北村庄太郎君は、明治四年の大政官布告より説き起こし、半世紀を経過せる今日なお、吾人をして之れを叫ばしめる社会人心の冷酷を痛罵し、特に吾々が三大義務の一なる兵役の義務をはたす可く、軍隊に入営せる際、営内に於いて、はたして如何なる待遇をなすや、幾多の不合理、不正義なる事実を挙げ、吾人は斯如き侮蔑、嘲笑、圧迫を享けつつもなお見えざる鎖に繋がれて逃れ得ぬ事を想うとき真に兵営は世俗に云う、名誉の○○であるかの如き感がある。吾々の名誉が如何に吾々の人間を蹂躙せるかを見よ!と抉ぐる。
埼玉代表近藤光君は古来国家の衰亡は毎に支配者自らが招致せるものなりと断定し、バビロン、ローマの興亡より近代ロシヤの革命に及び、その鋼鉄の如き舌鋒は、虐げられたる者の『神聖なる力』を論じ、最後に、涙は憂のたすけにはならぬと激励して降壇、
滋賀代表田口久五郎君は諄々として当然の権利としての正義を説き、吾人は人間であり人間たらんとする者である、とて『人間の自由』の獲得権を抛棄せる卑怯者を責め、批判なき盲従は罪悪也。と喝破した。
東京代表平野小剣君は社会組織の欠陥から説き起こし現今の社会は悪魔の社会であると鋭く抉り、自身の生い立ちを述べ母の臨終に及び、悲しい、痛ましい、母の遺言は『世の中を呪え』それであった。母は私に反逆児になれと云って死んだ。私は母の遺言通りに生きて行く、臨終の床の母の姿を想い起こす時、私の胸に反逆の炎は燃えさかる。私の生命は地獄の劫火を呼吸している。社会主義運動へ入ったのも、労働運動へ入ったのも、私がエタであったからだ。エタの子であったからだ。と君の一指の動くところ、呪いの炎は狂騰して悉く聴衆を灼熱せしめ、反逆の車輪は轟々として満堂を狂奔廻転するかと思われる。
全国少年代表山田孝野次郎君は十四才の紅顔の可憐児、その愛けな姿を壇上にあらわすや、堂々として六尺の男子をもしのぐ態度をもって論じ去り論じ来たる。私は郡役所の役人様や学校の先生の演説又は講話を聞きました、それ等の方々は口を極めて平等の必要を叫びます。人と人との差別を不合理だと云うて攻めます。そして私共を如何にも理解しているが如く或いは殆ど差別的感情なぞは、これ程もないかの様に云われますが、一度教壇に起った先生のひとみは何と云う冷たいものでしょう。と少年の眼には涙が滲んだ。そして、圧迫、侮蔑、擯斥の二三の実例を挙げ来るや、小さな胸におもいせまりて、竟に涕泣、涙を以て訴える。場内各所に鳴咽の声聞え、壇上の委員も皆、その場に居るに堪えず、事務所に走り込み手を取り合うて泣く。少年は最後に大聲叱呼! 今私共は泣いている時ではありません。大人も子どもも、一斉にたって一斉にたって此嘆きの因を打ち破って下さい、光り輝く新しい世の中にして下さい。と急霰の如き拍手を浴びて降壇、
代わって婦人代表岡部よし子君、朱唇を衝いて迸る鋭鋒は、対外的には圧迫虐待の不合理を責めて完膚なからしめ、対内的には部落婦人の覚醒を叫び、スパルタ武士の母よ出でよ、ジャンダークの如き娘いでよ、と結ぶや又々堂を圧する拍手起こる。
大阪代表泉野利喜蔵君は民族的精神の価値より論じ起こし、人種混合が急激なる社会進化を持ち来たしたる歴史的事実を挙げ時代精神の推移に移り、転じて世界に於ける猶太人の思想傾向より吾人特殊部落民の解放に論及する。その透徹せる論旨は肥大なる体躯と相待って堂々とし聴衆を歓呼せしめた。
四国代表江成久策君は咽喉加答児を押して演壇に立ち、近来私が各地青年の覚醒を促し、解放運動に参加せしめんとする際、誤解か、猜疑心か神経過敏なる、官憲が之れを阻止せんとした事実があります、と最近の経験談を述べる、その冷静なる態度と語調に満場聞として声をひそめる時、司会者より注意を享けたるも軽く応じ、荊を冠せられ十字架を負わされたイエスの名によって、御国を来らせる事を阻む一切の悪と、その権威権力に対し、死十字の神聖戦を闘うと宣し、鋼の如き舌鋒は彌々鏡く閃々として悪魔の胸に迫るや、司会者は再び三度注意を興う。『司会者圧迫するな』『言論は自由だ』と、聴衆承知せず怒号旺んに起こり轟々としてやまず、江成君竟に自ら壇を下る。
次に菜葉服の奈良代表西光万吉君、人格は絶対である吾々は人間を冒涜する収奪的融和運動を排すと叫び、
広島代表谷鐡之助君は、古来人間崇拝の感情が屢々、その限界、超越して偶像を造ることによって、自らを奴隷として自縄自縛せる歴史を挙げ奴隷の解放は奴隷自らの解放運動に待つと説く、
兵庫代表角野末元君は余件的なる改善、矯風よりも、根本的人格問題として人間解放運動を力説した。
出る者も出る者も後から後からとグングン熱が上がり聴衆は熱狂して足踏み乱朴する、代表者の演説は緊張裡に終始し茲に十分間の休憩をすることとなった。
休憩後、自由演説に移り演題を解放、悲惨なる事実を述べるものあり、一切妥協運動を排して奮迅せよと叫ぶものもあった。生温い演説者には、聴衆怒りて駁撃を加え、野次を飛ばして降壇せしめるなど、自由演説は亦々白熱化していつ止むべしとも見えなかった。長い間の鬱積せる呪いの声は一時に爆発して、物凄き唸りは獅子の咆哮の如く、機関銃のバラ撒きの如く実に空前絶後の演説会であった。かくして午後六時穢多民族の万歳を連呼して閉会。
準備中