神戸人権交流協議会 「部落差別解消法案」―国会議員の先生方、同和問題の基本的性格とその解決の歩みを学習してください
常識(common sense)で人権問題を考えるブログ
地域人権運動連合 神戸人権交流協議会
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「部落差別解消法案」―国会議員の先生方、同和問題の基本的性格とその解決の歩みを学習してくださいね
安倍政権は、「人権擁護法案」を制定し、公権力から独立した人権侵害救済機関を作れという日本弁護士連合会などの要求を拒否し続ける一方で、「障害者差別解消法」「ヘイト差別禁止法」を成立させてきました。今回の「部落差別解消法」もその一環であると考えられます。
差別にはそれぞれ基本的性格と歴史に相違があり、よって解決手法と解決段階には差異が存在します。「部落問題」でいえば、日本国民がこれまで大きな努力を払い、確かな成果を上げてきており、他の人権問題のように改めて法的措置を必要とする段階にはありません。それは少し学習すればわかることです。
今国会では継続審議となりましたが、参議院選挙後、またぞろ提出される可能性があり、しっかりとした学習が必要だと考え参考意見を掲載させていただきました。
ネット社会の「差別的言動」は現実を反映していますか
○「部落差別解消法案」が必要な理由として、「情報化の進展にともなって部落差別に関する状況の変化」(1条)が挙げられている。これはインターネットによる「差別的表現」の「蔓延」を想定しているものと考えられるが、ネットの内容は「解放同盟」の横暴な運動行為に対する憤懣が反映したものも多く見られ、「解放同盟」の反省と謝罪が大切だ。
さらに、ネットでの「差別的表現」は社会的・道義的常識を逸脱している内容が多く、常識的な日本国民に対して深刻な影響を及ぼすとは到底考えられない。しかし、ネットの「差別的言動」は落書きと同じで社会の問題を反映したものもあるので敵視したりせず科学的な分析と理性的な対応が必要だ。中には、精神的疾患のある方が、自己顕示の手段として発信しているものあり、慈悲の心で対応することが大切だ。
いずれにしてもこうした「差別的表現」については現行法に基づき、国や自治体が粘り強く対応すれば解決できる問題だ。
「人権教育・啓発法」と同趣旨の法律がもうひとつ必要ですか
○基本理念では「国民ひとりひとりの理解を深める」「部落差別のない社会を実現する」(2条)としているが、これは「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」と同趣旨であり、屋上屋を重ねるようなものである。
同和対策事業の到達点を無視していますよ
○国および地方公共団体の責務として、基本理念に基づき「部落差別解消に関する施策を講ずる」ことを義務づけようとしている。問題なのはこの「施策」。 ご存じのように同和対策事業特別措置法(1969年)を皮切りに法改正・延長が繰り返され、33年間にわたり同和対策事業がすすめられ、国と地方自治体合わせて16兆円をこえる事業が実施された。
その結果、同和対策事業の完了・終結が進み、政府も「同和対策の目的を達成した。これからは「人権教育・啓発」として、人権教育・啓発を推進しているのだ。
「旧同和地区住民」の自治・コミュニティの破壊をすすめますよ
こうした流れの中で「施策」を推進するというのは時代に逆行するだけでなく、神戸市内の「旧同和地区住民」の皆さんのように一般対策のもとで自立的生活している「旧同和地区住民」の自治・コミュニティに大混乱をもたらす可能性がある。
○この法案の目玉として「相談体制」(4条)を充実することを明記していますが、「人権教育・啓発法」が義務付ける「基本計画」においてその趣旨は盛り込まれており、地方自治体においてはすでに人権相談ネットワークが形成されている。
また、法案の重要な骨子となっている「必要な教育・啓発を行う」(5条)という条文は全く重なっている。
○「部落差別の実態に係る調査」(6条)については、調査をすることで「同和」と「一般」という図式を半ば永久に行政によって固定化する。最近は、混住などで「同和地区住民」という自覚のない人が増加している。「一般地区住民」でも「同和地区」を知らない人も増えており、順調に解消に向かっている。
調査はこの流れに混乱をもたらすことは明白だ。ネットでの差別的表現ごときでこの流れは止められない。
いま必要なのは新法ではなく「人権教育・啓発法」の是非を論議することだ
地域人権連は「人権教育・啓発法」は廃止することを要求している。理由は差別の原因となる「遅れた意識が国民」にあるとして、国民に対する「教育・啓発」を目的としているからである。下手をすると思想統制に利用される可能性もある。
例えば、ハンセン病問題は国が政策的に作り出した問題でありながら、「人権教育・啓発法」ではハンセン病に対する国民の差別意識が問題とされ、国の責任は曖昧にされているのだ。
いま必要なのは公正・中立な国内人権救済機関の設置を
安倍政権は障害者に対する差別を禁止したり、ヘイトスピーチを規制する法律を成立させてきた。しかし、その内容は「理念法」で実効性に課題が残されている。
実際に生起する人権侵害は理念だけでは解決しない。人権を救済するための実効性のある合法的手段が必要だ。そうした点で改めて注目すべきは被害者が人権救済機関に申し立てれば、調査、仲裁だけでなく、場合によれば指導・訴訟支援もしてもらえる公的機関だ。
そうした人権救済機関ができれば、民間の人権団体などに頼らなくても、個人でも人権侵害を解決する道が開かれ、基本的人権保障の強力な基盤ができるのだ。
国民のみなさんへ-アピール- 部落問題解決に逆行し同和利権を温存する「部落差別解消法」案を廃案にしましょう
国民のみなさんへ-アピール-
部落問題解決に逆行し同和利権を温存する「部落差別解消法」案を廃案にしましょう
20168301.pdf
8月30日衆議院議員会館で予定していた「部落差別解消法」案の学習会 台風の関係で中止になりました。
8月30日午後に衆議院第二議員会館で予定していました「部落差別解消法」案の学習会(各界の意見発表・懇談、アピール発表、議員要請行動)は、「過去最強クラス」と言われる台風10号が30日から31日にかけて本州横断と予報されていることから、やむを得ず中止します。
衆参法務委員には、A3パンフ(30日納品)や「アピール」文、賛同者一覧(25日集約分まで)、報告者レジュメなどを送付しておきます。今後国会の動向を注視し必要な行動を提起致します。また引き続き署名(団体・個人・賛同)などの取り組みを要請致します。
岡山県人権連主催「2016年度人権の伸長をめざす岡山県自治体交流学習会」8月24日
岡山県人権連主催「2016年度人権の伸長をめざす岡山県自治体交流学習会」8月24日 http://minnanoie.org/?p=12765
講師は岡山大学名誉教授の小畑隆資先生。
「日本国憲法と「部落差別」固定化法案」と題して講演。
人権について、人権問題=同和問題と認識させられてきた結果、人権といえば自分以外の他の人の問題と受け止める傾向が強まってきた。そしてそれは権力からして自分の自由・生命・財産を守るもの、という人権概念を薄め、私人間の特に「差別」の範疇の問題をのみを人権問題と捉えさせることにつながっている、と。
立憲主義と人権、この観点での話は、日本国憲法は「主権者ある私たち国民が憲法を制定している」、明治憲法は「主権者である天皇が憲法を制定した」と捉えることにつながる、と強調。
「部落差別」固定化法案の問題に先立ち講師は、部落解放運動思想の原点として岡映さん(1912-2006)の部落・部落解放論について言及。その反映としての同和対策審議会の積極面、そして意図的に組入れられた「実態的差別と心理的差別」論の問題点などに迫っていきます。そして、法案の問題点を以下の点でまとめてくれました。
■本法案の問題点
1.部落「民」も「部落」も「部落出身者」も客観的に特定することは不可能である。
2.「部落差別」意識が国民の「心理」のなかには一般的に存在するという根拠なき前提の上に立った法案である。
3.「多くの国民の皆様が実感なされていること」、「一般的に国民が理解しているもの」、「よく肌でわかっている」といったように、何の根拠もなく勝手に国民の心理を解釈し国民を主語にして語る語り口は、提案者の個人の責任のがれの無責任な態度であり、法案提案者=立法者としての資格を疑われる。
4.国民の心理を客観的に解明することは絶対に不可能事であるにもかかわらず、あたかも分かっているような態度を取るのは、国民の心理操作のためのものでしかない。今まで「部落差別」にあまり関心もなくほとんど知らなかった国民に、「えっ、そんなこと知らないの、多くの国民はみんな実感し肌でわかっているのに。表に出てないのはみんな外にはなかなか言えないからなのよ」、という暗示をかけ、この「空気」を共有する仲間に誘いこむ議論である。
5.こうした「部落差別」があたかも存在するが如き「空気」を共有する集団の形成が、本法案の役割となるはずである。客観的根拠もその定義もない「部落差別」という言葉を共有する集団は、何が「部落差別」かの内容を無限に拡大ししかもその言説に責任を取る者はいない。こうした状況を生みだすのは「空気」でしかないからである。しかも、その「空気」をうまく利用して利権を肥やすきわめて具体的な集団が成長してくることになる。
6.その意味で、本法案は、無概念無規定の「部落差別」なるものを「固定化」し、さらには、「創出」していくことになるものである。「心理」は無限に拡大しそれを制限するものは何もないからである。
7.すでに、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(2000年)で、「人権教育・啓発」の施策が進められてきているのにもかかわらず、さらに本法案で「教育及び啓発」(第5条)で取り上げられているのは、「部落差別」については特別扱いで施策を策定し取り組めということを、国と地方公共団体に求めることになる。まさに逆行であり、「固定化」であり「拡大」となって、本来の行政を妨げるものにしかならない。
8.また、「相談体制の充実」(第4条)もこれだけではあいまいだが、かつて民主党政権下で浮上したいわゆる「人権救済法案」の「人権委員会」が念頭にあるものと思われる。人権委員会も「制裁を伴う調査や、訴訟参加、差止請求訴訟等の権限は与えない」とされているが、人権委員会は、「援助」「調整」「説示」「勧告」「通告」「告発」「要請」から「調停」「仲裁」と、実質的には強力な影響力を行使することができる。「相談体制の充実」の「充実」にはこうした内容が込められていることは間違いない。
9.実態調査については、部落「民」も「部落」も「部落出身」も特定できない以上、一般市民の「部落差別」意識調査となる可能性がある。もしそうならば、「部落差別」に名を借りた、国民の心理調査であり、あきらかに国民の良心・思想・信条に直接国家が介入してくることになる。
10.最後に、繰り返すが、国家が国民の人権意識を遅れた意識、差別意識として取扱うこと自体が最大の問題点である。主権者である国民を愚ろうする逆立ちした発想である。そもそも「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(2000年)自身が、「お上」が遅れた国民を「教育・啓発」してやろうという姿勢である。今や、そういう「お上」の人権意識が真正面から問われなければならない。
部落差別解消法案に、なぜ団(自由法曹団)は「断固反対」するのか 大阪支部 杉島幸生
自由法曹団 団通信1563号(6月11日)
部落差別解消法案に、
なぜ団は「断固反対」するのか
大阪支部 杉島幸生
一 はじめに
自・公・民進党三党が、五月一九日に突如提出した「部落差別解消法案」は、日本共産党清水ただし議員の反対討論もあって審議入りせず、次国会へ継続となりました。団本部も法案成立に「断固反対する」との緊急声明を出しこれに対抗しました。しかしながら若手団員の一部からは、なぜ団が差別解消を求める法案に「断固反対する」のかよく分からないとの声もあります。そこで、私個人の見解ではありますが、なぜ団がこの法案に反対しなくてはならないのかを考えたいと思います(声明の内容そのものは、団ホームページでご確認ください)。
二 部落解放運動の混乱
部落差別があってはならないというのは、当然のことです。しかし、部落差別は、女性差別、障害者差別、外国人差別などとはまったく構造が違います。これらの差別は、「女性」、「障害」、「国籍」という属性を理由に、不利益な取り扱いをすることです。その解決のためには、その属性に応じた異なる取扱いをすることを通じて、その不利益や社会的偏見を取り除いていくことが「施策」となります。
これに対して、「部落民」という属性は果たして存在しているのでしょうか? 行政が部落問題の解消のために特別な「施策」を実施するとなれば、なんらかの方法で対象者を特定しなくてはなりません。そこで、かつての同和行政は、行政が「同和地区」を指定して、そこに居住している人を「同和行政の対象者(=「部落民」)」であると特定しました(属地主義)。これにより同和行政の対象者(部落民)と、そうでない人との区別があらためてつくりだされることとなりました。かつては、ここから「同和行政を受けたい人々」が、行政に同和地区の指定を求めるようになり、同和地区が増えていくということも起こりました。その結果、行政によって新たな「部落」が作られるという事態も生まれました。他方、「他の市民と区別されることを望まない人々」は、指定の返上を求めるということとなり、ここから解放運動の分裂も生まれました。
しかし実際には、さらに複雑な問題が生じます。というのは、同和地区に住んでいても、他の地域からの移住者は、「部落民」なのか、同和地区で生まれても地区外に移転した人は「部落民」ではないのかという問題が生じるからです。もし居住地域以外に、その判断基準を設けるとすれば、それこそ戸籍を追いかけて、「お前の祖先は、被差別部落の出身者である」という認定をしなくてはなりません(属人主義)。さすがに行政がこうした認定をすることはできませんでしたので、行政は、同和団体(端的に言うと部落解放同盟)にその判断を一任します。そうしますと同和行政を受けるためには、部落解放同盟に「部落民」と認定してもらわなくてはならないということになります(これが「窓口一本化」です)。そのため解放同盟の方針に反対する人は、同和地区の出身者であっても同和行政を受けることができないということになり、解放同盟が運動のなかで絶大な権力を有していくこととなります。そこから解放運動の変質が急速に進んでいきました(同和団体による「利権あさり」は、こうしたところから生まれてきました)。
声明は、同和行政を実施することで、こうした事態が再現するのではないのかということを懸念しているだと思います。
三 誤った運動が作り出したあらたな差別
いままで述べてきたことは、「部落問題解消」を目的とした特別な行政(同和行政)を実施することの困難さです。しかし、その背景には、単に技術的な困難さや、濫用のおそれという問題にとどまらず、「部落問題の解決とは、どういうことなのか」、「それをめざした運動のあり方」という大問題が存在しています。
同和行政を求める人たちは、当然、「部落民」なるものが存在していることを前提としています。歴史的に差別されている「部落民」なるものが、現在も脈々と存在しつづけており、その人たちが苦しんでいるだから、「部落民」の苦しみがなくなるまで、行政は救済措置をとり続けなくてはならないと言うのです。
では、誰が「部落民」を差別しているのか。それは「部落民」以外の人間であるということになります。そこから「部落民」は、自らが「部落民」であることを自覚して、差別と闘わなくてはならないという運動方針が生まれました。同和地区出身者を見つけ出し、自分は部落民であると宣言させるという「部落民宣言」も、そこから生まれた運動です。大阪などでは、解放同盟に傾倒した教師たちが、地区出身の子どもたちにクラスメートの前で「部落民宣言」を強要するということも頻繁にありました(いわゆる解放教育です)。
また部落民は、差別されてきた者として差別とたたかう権利がある。そして何が差別かは、差別された者にしかわからないのであるから(「足を踏まれた痛みは、足を踏まれた者にしかわからない」)、私たち(解放同盟)が差別だと思えば差別なのだ、差別者は、それを受け入れない限り、差別者であり続けるのだから、差別者と認めるまで糾弾しなければならない(これが「糾弾権」です)という方針もここから生まれました。今では信じられないことでしょうが、兵庫県の八鹿高校では、解放同盟が、異なる立場で同和教育をすすめていた先生たちを差別者と決めつけ、自らを差別者と認めなかった約五〇名を体育館に監禁して、殴る蹴るの暴行を加える、頭から水をぶっかけるなどして屈服を迫るという事件も引き起こされました。そこまではいかなくとも糾弾と称した大小の暴力事件は数え切れないくらいありました。糾弾の恐怖から自殺した者も多数います。
こうした立場からすれば、部落解放とは、そうした血みどろの闘いの彼岸にあるということになります。そして、こうした運動は、普通の市民から「同和は怖いもの、近寄ってはいけないもの」としてタブー視され、「部落民」は、私たちとは違う人たちという新しい差別意識を生み出すこととなりました。
四 部落問題の解決とは
他方、そこにいるのは同じ市民なのであって、「部落民」など存在しない。部落差別の解消とは、かつて部落と呼ばれた地域に生まれた人であっても、普通の市民として同じように扱われることだ。同和行政は、歴史的に形成されてきた旧部落の劣悪な生活環境(実際に下水道がない地域や、大雨になるとたいてい洪水が起こるという地域も多くありました)や、教育条件などを改善することにとどまるべきである。同和行政によって、一定の改善がなされたのであれば、速やかに一般行政(貧困問題をかかえる他の市民と同じ扱い)に移行すべきである。部落問題の解決とは、市民が「部落」の存在など忘れさって、普通の市民として暮らしていくことができるようになることだと考える人々もいました(こうした考え方を国民融合論と言います)。
解放同盟が強かった大阪市内のある同和地区などでは、解放会館がそびえ立ち、同和住宅が建ち並び、入浴料数十円の立派な銭湯などがあって、近隣の地域とは一見してことなる風景をつくりだしていました。そこには地域外からの新しい住民の流入も少なく、「部落」コミュニティーがいつまでも残っていました。「部落民」の解放を求める立場からは、これが解放運動の成果であると位置づけられました。
他方「部落民」など存在しないという立場から、住民運動で同和地区指定の返上を求めた関西のある地域は、解放会館も同和住宅もありませんが、今では、そこがかつて部落と呼ばれた地域であることを知る人も少なくなり、関西有数の人気住宅地となっています。
繰り返しになりますが、障害者差別や女性差別、外国人差別などは、その違いを認め、それに応じた異なる扱いをすることで解消の方向に向かいます。これに対して部落差別は、同じ市民として扱い続けることで解消に向かうという性質をもっています。こうした差別の構造の違いを踏まえない対応は、たとえ善意からのものであったとしても、部落問題の解決を遠ざけることにしかなりません。
五 なぜ同和行政は終結したのか
かつての同和行政の根拠となっていた同対法、地対法は、いずれも時限法でした。それは同和行政があくまで歴史的に蓄積されてきた劣悪な環境を改善する範囲内での一時的なものであるとの認識があったからです(それでも同和地区を指定することで、同和地区とそれ以外を区分し、同和利権を得ようとする人たちが自らの行為を正当化する根拠となりました)。
一〇数兆円という膨大な同和予算が使われることで、同和地区の生活環境や教育条件、労働環境は、大幅に改善されてきました。先ほど述べたような異常な風景が生まれた地域もあったものの、全国的には、同和地区と言われてきた多くの地域で、地区外から移転してくる住民もふえ、最後の差別とも言われた地区外者との結婚も大幅に増えていきました。こうした実態を踏まえ、地対協答申は、同和行政はその役割を終え、いまではかえって弊害を生み出しているとして、その終結を打ち出したのです。
このときも同和行政の存続を求める人たちは、「まだまだ差別は残っている。だから同和行政を続けなければいけない」と特措法の延長を主張していました。そのときの根拠として持ち出されたのが、「差別落書き」でした。陰湿な差別落書きが頻発するのは、差別意識が根強く残っているからだというのです。しかし、実際に落書きをしていたのが、解放同盟の活動家であったという漫画のようなことが発覚し、そうした主張も力を失っていきました。
六 部落差別解消法案のもつ問題点
文字で書くと簡単ですが、同和行政を終結させるべきという運動を担ってきた人たちは、文字どおり体を張って、その運動を続けてきたのです。そうした人たちの多くは旧同和地区の出身者です。自らの被差別体験から、差別の解消を求めて運動をはじめ、部落問題の解決とは、同和地区出身を特別扱いしない、する必要のない状態になることだとの信念のもとに運動を進めてきたのです。そうした人たちは、旧同和地区出身者であるにもかかわらず、差別者と批判され攻撃を受けてきました。私のある知人は、父親が、そうした活動家であったことから、小学校のとき、解放同盟に心酔していた教師に教室の前に呼び出され、クラスメートの前で「この子は差別者の子どもだ」と批判されたそうです。少なくとも大阪では、こうしたことはまれな例外でありませんでした。そうした人たちにとって、今回の部落差別解消法案は、「悪夢の再現」以外のなにものでもありません。
今回の法案は、部落問題の解消のための「施策」を進めることを求めています。「施策」の内容がはっきりしませんが、そうであるだけにかつての「同和行政」の復活につながる可能性があります。そうしますと、再び「施策の対象となる人々と、それではない人々」との間に、「部落」というラインを引くこととなります。しかも、この法案は、恒久法ですから、そうした状態がいつまでも続くことを前提としています。ここから声明は、この法案は、部落差別を「固定化、永久化する」ものだと位置づけているのだと思います。
また「部落差別」の定義も明確ではありません。そのため、かつてそうであったように、同和団体が、差別の認定者として「権力」をもち、自分に反対する者に対して、「差別解消法」の精神を踏みにじる差別者であるなどの決めつけをして屈服を迫るということも生じてくることでしょう。
さらに現在、旧同和地区と、そうでない地域との間で、一般行政では対応できない特別な「施策」を実施しなければならないほどの著しい格差が存在しているとはおよそ言えず、その意味で立法事実も存在していないのではないでしょうか。
今回、立法事実として、インターネット上の差別的表現が取り上げられているようです。かつての差別落書事件の顛末を知るものとしては、正直、「おいおい、またかよ」との思いをぬぐうことができません。仮にそうではないとしても、差別意識をもつ人間などは、いつの時代にも、どこにでもいるものです。そうした輩によって、たまたま行われたインターネット上の表現に対しては、すでに対抗策(例えば、プロバイダー責任制限法)が存在しています。仮に、それが不十分なものであったとしても、インターネット上の差別表現に対抗するために今回のような法律をつくることは、「角を矯めて牛を殺す」ことになるのではないでしょうか。
七 団は「断固反対」すべきである
部落解放同盟の暴力に、行政も、警察(八鹿高校事件では、地元警察は解放同盟の暴力を現認しながらそれを黙認しました)も、マスコミも沈黙するなかで、団の先輩方は、その暴力的糾弾や、利権あさり、行政の私物化と闘ってきました。私自身は、もう少しあとの世代ですので、直接の体験はありませんが、これは団の誇るべき歴史だと思います(この点は、私のつたない解説より、団物語を読んでください)。こうした歴史のある団だからこそ、今回の法案には、「断固反対」しなければならないのだと思います。
部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明
2016年5月24日
自由法曹団
団長 荒井新二
1 2016年5月19日、自民、公明、民進の3党は、部落差別の解消の推進に関する法律案(以下「本法律案」という。)を衆議院に提出した。同月20日には衆議院法務委員会で趣旨説明がなされ、25日に同委員会で強行可決される見通しである。
本法律案は、部落問題の解決の障壁となるものであり、基本的人権をまもり民主主義をつよめることを目指す法律家団体である自由法曹団は、この法律案に断固反対する。
2 部落差別問題については、1982年、同和対策特別措置法が廃止され、その後を継ぐ地域改善対策特別措置法も廃止され、2002年に同和対策事業は終結した。これは、部落差別の特徴的な形態である劣悪な住環境等が、各種の同和事業の遂行によって改善傾向にあり、また、職業の自由、居住移転の自由、結婚の自由の侵害という事態も大きく減少するなど、身分的障壁を取り除き、社会的な交流が拡大する方向へと進み、部落解放の客観的条件が大きく成熟したことによるものである。そうだとすれば、着実に解決に向かっている現状においては、本法律案には立法事実がなく、時代錯誤であると言わざるをえない。のみならず、むしろ部落問題による差別、偏見を固定化、永続化し、部落問題の解決のための大きな障壁になり有害である。
また、本法律案は、えせ同和団体の利権あさりの手がかりとなりうるものであり、過度の糾弾による人権侵害や不公正な行政が行われた負の歴史をふまえていないものと言わざるをえない。
3 本法律案は、「部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。」としているが、部落差別の定義規定がなく、何をもって部落差別とするのかが曖昧なままである。本法律案は、部落差別の解消に国、地方公共団体の責務を定め、相談体制の充実、必要な教育啓発を行う努力義務等を規定しているが、何をもって部落差別とするかが曖昧なままであれば、あまりに広範な施策が実施されることになりかねず、その施策によって施策の対象となる人々とそうでない人々の間に垣根をつくり、ひいては部落差別問題を再燃させることにつながりかねない。
また、本法律案は、国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとしている。
しかし、これによって新たな差別を掘り起こすことになり、本法律が恒久法であることを踏まえると、調査を続けることによって、部落差別問題を固定化、永久化することにつながりかねない。
本法律案は、「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていること」が立法理由として説明されているが、ネットへの差別的書き込みなどはプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)に基づき、プロバイダに対して削除請求するなど、既存の法律で対応することが可能である。
4 以上の理由から自由法曹団は、本法律案に断固として反対する。
東京都知事選挙・鳥越俊太郎候補への支援を要請します
東京都知事選挙・鳥越俊太郎候補への支援を要請します
東京人権と生活運動連合会
2016年7月20日
全国の人権連の皆さん!
東京都知事選挙が始まりました。
争点は①「納税者意識」を胸にとめ、不祥事を起こさない都政にする②公共事業で経済をよくするというやり方をやめ、高齢化社会の問題、待機児童の問題、介護の問題などにきちんとお金を充てて経済を良くしていく③首都の政治戦で、憲法改定の動きに審判を下す―となっています。
自民党陣営は2候補に分裂し、野党は鳥越俊太郎候補で一本化しました。都政を都民に取り戻す絶好のチャンスです。
鳥越候補は知名度は高いものの、20~30代の人には知られていません。
鳥越候補の政治姿勢と人柄を伝え、人権連にゆかりある皆さんに確実に支持していただくことが重要になっています。
●知り合いの東京の有権者に働きかけをお願いします。
●資料(①「地域と人権」東京版1面②政策宣伝資料)を添付します。
●財政支援もよろしくお願いします。振込先は、みずほ銀行稲荷町支店
普通預金 1717567 東京人権と生活運動連合会です。
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【談話】2016年参議院選挙の結果について
【談話】2016年参議院選挙の結果について
7月10日投開票でたたかわれた参議院選挙は、改選121議席のうち、与党が過半数を上回る70議席(追加公認含めて)を獲得し、改憲勢力は参議院でも改憲の発議が可能となる162議席を占める結果となった。
一方、戦争法廃止・立憲主義擁護を掲げた野党勢力は、与党による卑劣な「野合」批判が繰り返される中、42議席を獲得した。戦争法廃止を求める広範な市民と結んで、32の一人区で前回の2人から11人当選へと前進し、他の選挙区でも接戦に持ち込んだ。このなかで福島と沖縄では現職大臣を落選させ、東北5県でも野党統一候補が勝利した。市民と野党の共同の確かな可能性を示している。
安倍首相は選挙が終わったとたん、争点隠しに終始した改憲論議に野党を巻き込んですすめる強い意欲を示した。自民党改憲草案が示すとおり、安倍首相がねらう改憲の本丸は、9条の制約を外して「国防軍を創設」し、海外でアメリカ追随の戦争ができる国にすることにあり、また、そのための緊急事態条項の創設や基本的人権の制約をねらっている。平和と民主主義、国民主権にかかわるこの国の在り方そのものが根底から問われる、かつてない事態に直面している。
安倍首相は、大企業と富裕層に富を集中させるアベノミクスの乱暴な推進をはじめ、戦争法の具体化、沖縄名護市辺野古への米軍新基地建設、原発再稼働の推進、労働法制の改悪と雇用破壊、社会保障の削減と貧困層の拡大など、世論に反する政策の強権的な加速をも狙っている。
全国人権連は、「いつまでも住み続けられ、平和で人間らしく、幸福に暮らせる地域社会」実現のために、安倍政権の改憲策動と戦争する国づくりに反対し、暮らしと福祉、教育、雇用をまもり改善するために、切実な要求を前面に掲げて、たたかいをすすめる。
そのためにも、歴史の前進に逆行し、国民分断の人権侵害となる「『部落差別』固定化法」の成立を断固阻止するものである。
日本国憲法と立憲政治、そして国民の日々の暮らしは、戦後最大の危機に直面している。そのことを改めて確認し、戦争法廃止、立憲主義の擁護で培った市民と野党の共同をさらに前進させて、安倍政権の「暴走」をなんとしてもくい止めるために奮闘するものである。
2016年7月12日
全国地域人権運動総連合
事務局長 新井直樹