自由法曹団 団通信1563号(6月11日)

部落差別解消法案に、
なぜ団は「断固反対」するのか
大阪支部  杉島幸生

一 はじめに
 自・公・民進党三党が、五月一九日に突如提出した「部落差別解消法案」は、日本共産党清水ただし議員の反対討論もあって審議入りせず、次国会へ継続となりました。団本部も法案成立に「断固反対する」との緊急声明を出しこれに対抗しました。しかしながら若手団員の一部からは、なぜ団が差別解消を求める法案に「断固反対する」のかよく分からないとの声もあります。そこで、私個人の見解ではありますが、なぜ団がこの法案に反対しなくてはならないのかを考えたいと思います(声明の内容そのものは、団ホームページでご確認ください)。
二 部落解放運動の混乱
 部落差別があってはならないというのは、当然のことです。しかし、部落差別は、女性差別、障害者差別、外国人差別などとはまったく構造が違います。これらの差別は、「女性」、「障害」、「国籍」という属性を理由に、不利益な取り扱いをすることです。その解決のためには、その属性に応じた異なる取扱いをすることを通じて、その不利益や社会的偏見を取り除いていくことが「施策」となります。
 これに対して、「部落民」という属性は果たして存在しているのでしょうか? 行政が部落問題の解消のために特別な「施策」を実施するとなれば、なんらかの方法で対象者を特定しなくてはなりません。そこで、かつての同和行政は、行政が「同和地区」を指定して、そこに居住している人を「同和行政の対象者(=「部落民」)」であると特定しました(属地主義)。これにより同和行政の対象者(部落民)と、そうでない人との区別があらためてつくりだされることとなりました。かつては、ここから「同和行政を受けたい人々」が、行政に同和地区の指定を求めるようになり、同和地区が増えていくということも起こりました。その結果、行政によって新たな「部落」が作られるという事態も生まれました。他方、「他の市民と区別されることを望まない人々」は、指定の返上を求めるということとなり、ここから解放運動の分裂も生まれました。
 しかし実際には、さらに複雑な問題が生じます。というのは、同和地区に住んでいても、他の地域からの移住者は、「部落民」なのか、同和地区で生まれても地区外に移転した人は「部落民」ではないのかという問題が生じるからです。もし居住地域以外に、その判断基準を設けるとすれば、それこそ戸籍を追いかけて、「お前の祖先は、被差別部落の出身者である」という認定をしなくてはなりません(属人主義)。さすがに行政がこうした認定をすることはできませんでしたので、行政は、同和団体(端的に言うと部落解放同盟)にその判断を一任します。そうしますと同和行政を受けるためには、部落解放同盟に「部落民」と認定してもらわなくてはならないということになります(これが「窓口一本化」です)。そのため解放同盟の方針に反対する人は、同和地区の出身者であっても同和行政を受けることができないということになり、解放同盟が運動のなかで絶大な権力を有していくこととなります。そこから解放運動の変質が急速に進んでいきました(同和団体による「利権あさり」は、こうしたところから生まれてきました)。
 声明は、同和行政を実施することで、こうした事態が再現するのではないのかということを懸念しているだと思います。
三 誤った運動が作り出したあらたな差別
 いままで述べてきたことは、「部落問題解消」を目的とした特別な行政(同和行政)を実施することの困難さです。しかし、その背景には、単に技術的な困難さや、濫用のおそれという問題にとどまらず、「部落問題の解決とは、どういうことなのか」、「それをめざした運動のあり方」という大問題が存在しています。
 同和行政を求める人たちは、当然、「部落民」なるものが存在していることを前提としています。歴史的に差別されている「部落民」なるものが、現在も脈々と存在しつづけており、その人たちが苦しんでいるだから、「部落民」の苦しみがなくなるまで、行政は救済措置をとり続けなくてはならないと言うのです。
 では、誰が「部落民」を差別しているのか。それは「部落民」以外の人間であるということになります。そこから「部落民」は、自らが「部落民」であることを自覚して、差別と闘わなくてはならないという運動方針が生まれました。同和地区出身者を見つけ出し、自分は部落民であると宣言させるという「部落民宣言」も、そこから生まれた運動です。大阪などでは、解放同盟に傾倒した教師たちが、地区出身の子どもたちにクラスメートの前で「部落民宣言」を強要するということも頻繁にありました(いわゆる解放教育です)。
 また部落民は、差別されてきた者として差別とたたかう権利がある。そして何が差別かは、差別された者にしかわからないのであるから(「足を踏まれた痛みは、足を踏まれた者にしかわからない」)、私たち(解放同盟)が差別だと思えば差別なのだ、差別者は、それを受け入れない限り、差別者であり続けるのだから、差別者と認めるまで糾弾しなければならない(これが「糾弾権」です)という方針もここから生まれました。今では信じられないことでしょうが、兵庫県の八鹿高校では、解放同盟が、異なる立場で同和教育をすすめていた先生たちを差別者と決めつけ、自らを差別者と認めなかった約五〇名を体育館に監禁して、殴る蹴るの暴行を加える、頭から水をぶっかけるなどして屈服を迫るという事件も引き起こされました。そこまではいかなくとも糾弾と称した大小の暴力事件は数え切れないくらいありました。糾弾の恐怖から自殺した者も多数います。
 こうした立場からすれば、部落解放とは、そうした血みどろの闘いの彼岸にあるということになります。そして、こうした運動は、普通の市民から「同和は怖いもの、近寄ってはいけないもの」としてタブー視され、「部落民」は、私たちとは違う人たちという新しい差別意識を生み出すこととなりました。
四 部落問題の解決とは
 他方、そこにいるのは同じ市民なのであって、「部落民」など存在しない。部落差別の解消とは、かつて部落と呼ばれた地域に生まれた人であっても、普通の市民として同じように扱われることだ。同和行政は、歴史的に形成されてきた旧部落の劣悪な生活環境(実際に下水道がない地域や、大雨になるとたいてい洪水が起こるという地域も多くありました)や、教育条件などを改善することにとどまるべきである。同和行政によって、一定の改善がなされたのであれば、速やかに一般行政(貧困問題をかかえる他の市民と同じ扱い)に移行すべきである。部落問題の解決とは、市民が「部落」の存在など忘れさって、普通の市民として暮らしていくことができるようになることだと考える人々もいました(こうした考え方を国民融合論と言います)。
 解放同盟が強かった大阪市内のある同和地区などでは、解放会館がそびえ立ち、同和住宅が建ち並び、入浴料数十円の立派な銭湯などがあって、近隣の地域とは一見してことなる風景をつくりだしていました。そこには地域外からの新しい住民の流入も少なく、「部落」コミュニティーがいつまでも残っていました。「部落民」の解放を求める立場からは、これが解放運動の成果であると位置づけられました。
 他方「部落民」など存在しないという立場から、住民運動で同和地区指定の返上を求めた関西のある地域は、解放会館も同和住宅もありませんが、今では、そこがかつて部落と呼ばれた地域であることを知る人も少なくなり、関西有数の人気住宅地となっています。
 繰り返しになりますが、障害者差別や女性差別、外国人差別などは、その違いを認め、それに応じた異なる扱いをすることで解消の方向に向かいます。これに対して部落差別は、同じ市民として扱い続けることで解消に向かうという性質をもっています。こうした差別の構造の違いを踏まえない対応は、たとえ善意からのものであったとしても、部落問題の解決を遠ざけることにしかなりません。
五 なぜ同和行政は終結したのか
 かつての同和行政の根拠となっていた同対法、地対法は、いずれも時限法でした。それは同和行政があくまで歴史的に蓄積されてきた劣悪な環境を改善する範囲内での一時的なものであるとの認識があったからです(それでも同和地区を指定することで、同和地区とそれ以外を区分し、同和利権を得ようとする人たちが自らの行為を正当化する根拠となりました)。
 一〇数兆円という膨大な同和予算が使われることで、同和地区の生活環境や教育条件、労働環境は、大幅に改善されてきました。先ほど述べたような異常な風景が生まれた地域もあったものの、全国的には、同和地区と言われてきた多くの地域で、地区外から移転してくる住民もふえ、最後の差別とも言われた地区外者との結婚も大幅に増えていきました。こうした実態を踏まえ、地対協答申は、同和行政はその役割を終え、いまではかえって弊害を生み出しているとして、その終結を打ち出したのです。
 このときも同和行政の存続を求める人たちは、「まだまだ差別は残っている。だから同和行政を続けなければいけない」と特措法の延長を主張していました。そのときの根拠として持ち出されたのが、「差別落書き」でした。陰湿な差別落書きが頻発するのは、差別意識が根強く残っているからだというのです。しかし、実際に落書きをしていたのが、解放同盟の活動家であったという漫画のようなことが発覚し、そうした主張も力を失っていきました。
六 部落差別解消法案のもつ問題点
 文字で書くと簡単ですが、同和行政を終結させるべきという運動を担ってきた人たちは、文字どおり体を張って、その運動を続けてきたのです。そうした人たちの多くは旧同和地区の出身者です。自らの被差別体験から、差別の解消を求めて運動をはじめ、部落問題の解決とは、同和地区出身を特別扱いしない、する必要のない状態になることだとの信念のもとに運動を進めてきたのです。そうした人たちは、旧同和地区出身者であるにもかかわらず、差別者と批判され攻撃を受けてきました。私のある知人は、父親が、そうした活動家であったことから、小学校のとき、解放同盟に心酔していた教師に教室の前に呼び出され、クラスメートの前で「この子は差別者の子どもだ」と批判されたそうです。少なくとも大阪では、こうしたことはまれな例外でありませんでした。そうした人たちにとって、今回の部落差別解消法案は、「悪夢の再現」以外のなにものでもありません。
 今回の法案は、部落問題の解消のための「施策」を進めることを求めています。「施策」の内容がはっきりしませんが、そうであるだけにかつての「同和行政」の復活につながる可能性があります。そうしますと、再び「施策の対象となる人々と、それではない人々」との間に、「部落」というラインを引くこととなります。しかも、この法案は、恒久法ですから、そうした状態がいつまでも続くことを前提としています。ここから声明は、この法案は、部落差別を「固定化、永久化する」ものだと位置づけているのだと思います。   
また「部落差別」の定義も明確ではありません。そのため、かつてそうであったように、同和団体が、差別の認定者として「権力」をもち、自分に反対する者に対して、「差別解消法」の精神を踏みにじる差別者であるなどの決めつけをして屈服を迫るということも生じてくることでしょう。
 さらに現在、旧同和地区と、そうでない地域との間で、一般行政では対応できない特別な「施策」を実施しなければならないほどの著しい格差が存在しているとはおよそ言えず、その意味で立法事実も存在していないのではないでしょうか。
 今回、立法事実として、インターネット上の差別的表現が取り上げられているようです。かつての差別落書事件の顛末を知るものとしては、正直、「おいおい、またかよ」との思いをぬぐうことができません。仮にそうではないとしても、差別意識をもつ人間などは、いつの時代にも、どこにでもいるものです。そうした輩によって、たまたま行われたインターネット上の表現に対しては、すでに対抗策(例えば、プロバイダー責任制限法)が存在しています。仮に、それが不十分なものであったとしても、インターネット上の差別表現に対抗するために今回のような法律をつくることは、「角を矯めて牛を殺す」ことになるのではないでしょうか。
七 団は「断固反対」すべきである
 部落解放同盟の暴力に、行政も、警察(八鹿高校事件では、地元警察は解放同盟の暴力を現認しながらそれを黙認しました)も、マスコミも沈黙するなかで、団の先輩方は、その暴力的糾弾や、利権あさり、行政の私物化と闘ってきました。私自身は、もう少しあとの世代ですので、直接の体験はありませんが、これは団の誇るべき歴史だと思います(この点は、私のつたない解説より、団物語を読んでください)。こうした歴史のある団だからこそ、今回の法案には、「断固反対」しなければならないのだと思います。

部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明
2016年5月24日
自由法曹団
団長 荒井新二
1 2016年5月19日、自民、公明、民進の3党は、部落差別の解消の推進に関する法律案(以下「本法律案」という。)を衆議院に提出した。同月20日には衆議院法務委員会で趣旨説明がなされ、25日に同委員会で強行可決される見通しである。
本法律案は、部落問題の解決の障壁となるものであり、基本的人権をまもり民主主義をつよめることを目指す法律家団体である自由法曹団は、この法律案に断固反対する。
2 部落差別問題については、1982年、同和対策特別措置法が廃止され、その後を継ぐ地域改善対策特別措置法も廃止され、2002年に同和対策事業は終結した。これは、部落差別の特徴的な形態である劣悪な住環境等が、各種の同和事業の遂行によって改善傾向にあり、また、職業の自由、居住移転の自由、結婚の自由の侵害という事態も大きく減少するなど、身分的障壁を取り除き、社会的な交流が拡大する方向へと進み、部落解放の客観的条件が大きく成熟したことによるものである。そうだとすれば、着実に解決に向かっている現状においては、本法律案には立法事実がなく、時代錯誤であると言わざるをえない。のみならず、むしろ部落問題による差別、偏見を固定化、永続化し、部落問題の解決のための大きな障壁になり有害である。
また、本法律案は、えせ同和団体の利権あさりの手がかりとなりうるものであり、過度の糾弾による人権侵害や不公正な行政が行われた負の歴史をふまえていないものと言わざるをえない。
3 本法律案は、「部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。」としているが、部落差別の定義規定がなく、何をもって部落差別とするのかが曖昧なままである。本法律案は、部落差別の解消に国、地方公共団体の責務を定め、相談体制の充実、必要な教育啓発を行う努力義務等を規定しているが、何をもって部落差別とするかが曖昧なままであれば、あまりに広範な施策が実施されることになりかねず、その施策によって施策の対象となる人々とそうでない人々の間に垣根をつくり、ひいては部落差別問題を再燃させることにつながりかねない。
また、本法律案は、国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとしている。
しかし、これによって新たな差別を掘り起こすことになり、本法律が恒久法であることを踏まえると、調査を続けることによって、部落差別問題を固定化、永久化することにつながりかねない。
本法律案は、「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていること」が立法理由として説明されているが、ネットへの差別的書き込みなどはプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)に基づき、プロバイダに対して削除請求するなど、既存の法律で対応することが可能である。
4 以上の理由から自由法曹団は、本法律案に断固として反対する。