昨日は全国的に「見えた」「見えない」で大騒ぎだっか天体ショー。日本で次に見えるのは26年後とか。ちなみに私は病院の待合室のテレビが生中継を見ました。

話はグッと変わりますが、今年5月21日から司法制度改革の一環としてはじまった「裁判員制度」。このブログを見ている人たちの中にも将来、裁判所から裁判員候補者として呼び出しがかかる人が出るかもしれません。仕事の都合などでは断れない制度となっていますが、この裁判員になることで一番心配されているのが、「素人の私に公正な判断ができるのだろうか」「間違った判決を出した責任は」などが一番多いと言われています。これらはいずれも「冤罪(えんざい・無実の罪で濡れ衣をきせること)」に関係する心配です。そこで本日は裁判所と検察機構について考えてみたいと思います。

裁判所の判事(裁判官)、検察庁の検察官、弁護士、この人たちは元々、同じ司法試験を突破して司法修習生時代を経て、それぞれ自分の進むべき先として、この3つのコースに分かれていきます。判事や検察官が退職後、弁護士に転進する場合も多くあります。ここまではよく知られていますが、この人たちの関係は以外に知られていません。その一つが冤罪を生み出す間違った判断を犯すもととなっている「判検交流」です。丁寧に書くと「裁判所の判事と検察庁の検察官の人事交流」のことです。いうまでもなく、検察官は法務省の公務員であり、裁判所の判事は、国から独立した司法機関です。裁判では、警察が逮捕し検察官が起訴した事件を裁判所の判事が裁くことになっています。

この2つの役柄を交互に交流体験していることは一般的にはあまり知られていません。この人事交流制度は1949年からはじまり今日まで続いています。この間、1000人近い人がこの人事交流を体験しています。この交流は1975年から倍化傾向にあり、2008年には55人の検察官が判事(裁判官)に、逆に56人の判事が検察官に任命(交流)されています。ここで出向した裁判官のうち53人は訟務検事になっています。

政府は、国会で「国民の期待と信頼に応えうる多様で豊かな知識、経験等を備えた法曹を育成、確保するため、意義あるもの」と、答弁しています。しかし、こういった交流が互いのもたれあいと馴れ合いを生み出し、元の職場に戻った後でもその影響下から抜け出すことなく、検察官が起訴し刑事事件の被告は有罪にという流れが「日本の刑事裁判は99.9パーセントの有罪率」を生み出し、冤罪を増加させてきたことは数字の上からみても明らかです。

事実、ろくに調書調べも自白の信用性も起訴内容も弁護内容も被告の訴えや証拠調べもしないで「無期懲役」「死刑」といった有罪を下す裁判官もいます。足利事件の犯人とされた菅家さんにしても、警察と検察のでっち上げた自白と曖昧なDNA鑑定を証拠とされたことはいまや誰もが知るところとなりました。医学的知識のない裁判官ならば、もっと様々な角度から多くの専門家に鑑定を依頼しそれらの内容を科学的に比較検討することが重要ではないでしょうか。似たような事件で有罪の判決を受け刑務所に入れられている人はまだ沢山います。勿論、様々な証拠とされているものについても開示されないまま判決を下されたケースも。

県庁と自治体の人事交流など、公務員の人事交流や民間と官公庁の人事交流など、たしかに人事交流は有益な側面をもっていることは事実ですが、判事と検察官の人事交流はあるべき姿ではないと思われます。あなたはどう思いますか。