1990年に栃木県足利市で起きた「足利事件」は、2月12日、宇都宮地裁で第6回再審公判が行われ、検察官・弁護人双方が菅家さんに無罪判決を出すよう裁判所に求めました。このことは、すでに新聞やテレビなどマスコミで大きく報道されたことからみなさんよくご承知のことだと思います。

3月26日に同地裁で判決を迎えますが、判決は勿論「無罪」となることがすでに確定していることもよく知られているとおりです。ただ、この再審を通して菅家さんが求めているのは、このような冤罪を二度と生まないための①警察・検察での取り調べの全面可視化、②警察・検察・裁判所からの正式な謝罪、③自白偏重のいまの制度の是正、だといわれています。

最高検察庁長官も全国検察課長会議で、この事件に触れ、「二度とこのような誤りを出さないために、自白だけに頼らず証拠の裏付けを徹底的に行うよう」述べたと報道されています。これは誤ったのか、誤っていないのか、どちらともとれる発言で、その真意はもうひとつよくわかりません。いずれにしても「犯人はお前だ」と求刑を求める検察が間違いを認め「無実」を求刑?するのは異例中の異例であることには違いありません。

裁判所からの謝罪と同時に、自白偏重のもとになっている「可視化」について、菅家さんは、取調室の一角からの撮影では「机の下」は撮影されない。私を調べた取調官は「机の下から私の足を蹴り自白を迫った」。

全面可視化を求めるにはそれなりの理由があります。一部可視化では警察・検察の都合のよいようにしか撮影記録は提示されない。それでは冤罪はなくならないということです。いまも多くの冤罪事件で苦しんでいる人が闘い続けています。

「可視化」を政争の具としないよう、政権与野党にもとめたいものです。