長崎市長銃撃―民主主義破壊の卑劣なテロは断じて許されない
選挙運動中の伊藤一長市長が選挙事務所の前で背中から2発の銃撃をうけ、死去した。
長崎市では17年前に、当時の本島等市長が右翼団体の男に銃撃されて重傷を負った。
繰り返される凶行に、強い怒りを覚える。
その場で逮捕された容疑者は、山口組系の暴力団幹部だった。
捜査当局には、市発注工事に絡んで市との間にトラブルがあったようだが、なぜこの時期か、背後関係も含め全容解明が求められる。
銃という凶器で言論封殺がまかり通れば、市民社会の崩壊、暗黒の時代になりかねない。
米国では大学での銃乱射事件で32人の学生が犠牲となった。米国の銃による死者は年間約3万人もいる。自殺が多いが、殺人も1万件を超える。
日米両政府とも、自由と民主主義を脅かす、銃器や「公然」たる暴力組織などの取り締まりに全力を挙げるべきだ。
私もそのとおりだと思う。長崎市長銃撃は、個人的な市への恨みだけのように装ってはいるが、事前にテレビ局への贈りつけや、選挙戦という時期からみて、事件の背景に言論を暴力で封殺しようとする何がしかの政治的な意図も感じられる。そもそも暴力団を政治的に利用しようとする勢力がある限りこの種の事件は無くならない。その点では政治的課題か。
アメリカの銃乱射事件は、学生が感じたアメリカ社会での疎外感が事件の直接の動機であるらしいが、そもそも1ヶ月に1丁の銃が自由にスーパーで購入できることにある。全米での銃社会への決別が最重要課題であると思う。